おやこカフェほっこり村に行った時、店主の真理子さんが短冊をくれました。

好きな色を選びながら、「何をお願いしようかなー」って頭も動き始める。

いつもなら、願いと言えば「自分がどう在りたいか?」とか、「子ども達が、、、」とか、「みんなが・・・」とか、そういうことが思い浮かぶわけです。

でもね、あの瞬間、そういうのはもう当たり前のことやなって、信じてる自分を感じたんです。

その次の瞬間、かっこいい白いランクルが、きらりーんと脳裏に浮かんだんです。

自分の心が素直にはしゃぐのを感じて、同時に口からも「白いランクルほしいなぁー」っていう言葉が出てきた。

「ランクルいいね!似合いそうー。」

「僕、運転させてもらったことありますよ。」

その場にいた方達がランクルトークをしてくれたのも嬉しく。

帰宅してから改めて短冊を目の前に置いて、何をお願いしたいかもう一度自分に聞いて、やっぱり「白いランクルください」って書いたんです。

物欲も認めていると思ってた

自分で書いた短冊を見て、気づいたことがあるんです。

「純粋に欲しいっていうだけで物質的なことをお願いしたのは、物心ついてから初めてかもしれん・・・」

いや、まさか。
私は物欲をいけないことだとは思ってないし、自分を後回しにするのをやめるようになってからは、好きなもの、欲しいものを選び取るようにしてきた。

いや、ちょっと待って。

椅子に座ったまま、短冊を見つめたまま。

私はしばらく固まっていました。
思い出が蘇ってきたんです。

小3の時、京橋のダイエーで初めて自分がカッコいいと思うスニーカーを買ってもらった時のこと。

コンバースの黒いハイカットで、ものすご~く嬉しかった。靴ひもを通しながら、どれだけワクワクと嬉しい気持ちだったか。服も兄や従兄からのお下がりがほとんで、女の子らしい服は全然持ってなかったのですよ。自分の中の女性性の否定もあったんです。

もう少し遡って、小学校に入学する前の春休み。母と祖母が問屋さんへ行くのに着いて行って、「後で見るから待ってて」と言われていたのに待ちきれず、店員さんに「24色の色鉛筆どこですか?」って聞いたことも思い出しました。

入学準備で、自分用に24色の色鉛筆を買ってもらう約束をしてたんです。それがどんなに特別なことで、どれだけその日を待ち望んでドキドキしていたか。買ってもらったのは三菱ので、ジャジャ~ンと色鉛筆が斜めに並んでるデザインの。

1本ずつ、カッターナイフでちょっと削り取って名前を書く作業が、またすごく嬉しかったなぁ。

と、6才になったばかりの頃の気持ちがありありと思い出されました。

私が子どもの頃に、自分で好きなものを選んで買ってもらった記憶は、その2つくらいなんです。

お小遣いをやりくりしたり、お年玉を貯めたりしてほしいものを買うとか、そういうことはもちろんあります。プレゼントも、なんだかんだもらっていました。

でも、選んでいいよと言ってもらって何かを買ってもらう。なんて、全身がこそばゆくなるくらい特別なことだったんです。

あぁ、うちは貧乏やったし、いろいろ我慢してたしなぁ。欲しいものをおねだりするなんて、絶対できなかったもんなぁ。

と納得しようとして、気づいたんです。その2つも「必要だから」という大前提があったということに。

いや、ちょっと待って。

必要でないものを欲しいと思うことさえ、許してなかったん、私。

私が固まってしまったのはそこでした。

この「必要」がくせ者です。

どの範囲で?どういう意味合いで?と、自分に聞いてみます。

・昔の私は、「生活のために」必要。

・今の私は、「生きることを楽しむために」必要。

自分を楽しませることを、諦めていたんですね。そして、自分がその脳内ルールを作っていたことを、はっきりと思い出して自覚しました。

人は自分で作った脳内ルールで、自分を制限し続けている

子どもの頃、繰り返し繰り返し、脳内でつぶやいていた言葉があります。

「わたしは、どれだけ喉から手が出そうなくらい欲しいと願っても、手にいれることができない。みんなが当たり前に持っているものでも、私にはないんだ。」

やばっ!!こわっ。恐ろしっ。

そんなことを自分に宣言してたら、そりゃそういう現実を作り出しますよ、かおりさん。

「ベリベリッ」とその古い貼り紙を自分から剥がして、丸めてポイッと捨てました。

すっかり忘れていたんですけど、卑屈だった少女の頃の可哀そう~な私は、そうやってどんどん自分を可哀そう~な世界に押し込めていたんですね。

「白いランクル」って、無条件に好きなんです。燃費とか価格とか走りやすさとか、いろいろなメリットやデメリットを比較して欲しいとか、そういうの一切ないんです。

単純に、かっこいい。
運転したい。
ただそれだけなんです。

そう思うものを、「ください」って宇宙に対してお願いできる自分になれた。

「そんなとこにおったん!?」と驚かれるかも知れないですが、私にとっては大きな出来事なんです。誕生日ですら、欲しいものを「ちょうだい」と言えずに生きてきたんです。

たくさんの刷り込みや体験から形作られてきた張りぼての自分。
本当の自分の価値観じゃない。心じゃない。思いじゃない。考えじゃない。

そう気づけた時に、1枚ずつ剥がしていく。
固そうに見えて、張りぼてなんて紙だから。
しかも古くなって、剥がれかけてるから、気づけてる。

簡単に、ベリベリと剥がしていけばいい。


変わるんじゃない。
本当の自分を、表していこう。

(文:かおりん)

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