とある場所に、肖像画が飾られていました。
無礼にも、私はスマホで彼らの写真を撮影しました。
帰ってから、静かに集中できる時間を作ってお話を聴きたいと思ったから。

訪れた先で他にも何枚か写真を撮って、自家焙煎された美味しい珈琲を頂きながら何の気なしに撮った写真を見てみました。

そしたら、肖像画の写真2枚だけが変な写り方をしていて、驚いて声を上げてしまいました。


「あ、あかんかった感じかな・・・」と、慌てて削除しました。
一緒にいた娘たちが私の反応を見て、ちょっとざわつきました。

「お母さん、写真撮るんやっ!てびっくりしててん。それっていいの?って思って。」

そうだったんだ。何も考えてなかった(^^;
お話を聴きたかっただけなんだよ。

「どんなんやったん?やばかったん?」
「もう見れないよ。削除したもん。」
「削除しても、ゴミ箱に入ってるから見れるで。」
「そうなん!?どこ?」

言われた通り、まだゴミ箱に残っていたので見せました。

「お・・・・っと、あかんかったんやな。うん、消しとこう。」

娘たちもそう言うし、やっぱりそうやんねぇ。と、反省しました。

帰り際に、もう一度その肖像画の前へ行って、謝罪と弁明をしました。

「挨拶もしないで失礼なことしてすみませんでした。後でゆっくりお話を聴きたいなぁと思ったんです。今日は過ごさせてもらってありがとうございました。」

そして、車での帰り道のこと。

「お母さん、あの場所どう思ったん?何か見たん?誰かいてたん?何か感じた?」

私はちょっと感受性が高いのか、場所によって受け取るものがあるし、その場所では前回訪れた時も嬉しいメッセージをもらったので、長女が気になって聞いてきた。

「うん。誰かの人の念とか、そういうんじゃなくて。山みたいに自然霊みたいな、すごい良いエネルギーで包まれてる場所やなぁって感じた。代々受け継がれて来た思いとか、いろんなものが、今を生きる人たちを包んで見守ってる感じしたよ。」

と話しました。

川が流れている横の狭い道に差し掛かったころ、

「ゆっくり聴いてくださいね」

というメッセージが聴こえてきました。

どこかを訪れて、帰っている運転中にメッセージを受け取ることはよくあります。
でも大抵、イメージが多いんです。
それから大抵、私から聴いたことへのお返事が多い。

でも、こうしてすっと言葉として感応できるものが、質問もしてないのにやってくることは少ない。

「聴きます。」と返事をしたものの、車内は娘たちが音楽を流しているし、運転中だし。
どのように聴けばいいかな・・・

と思った瞬間、目の前に10羽くらいのカラスが現れました。
カラスは私にとってガイドなので、これもサインだなぁと思ったのと同時に、次女が言いました。

「わ。カラスや。お母さんに聴いてって言ってるんちゃう?」

「うん、今ちょうど、聴いてくださいねって言われて、どのように聴こうかなって思ったところで・・・。って、あなたの感覚もすごいね。よくわかったね。」

すぐに、心に先ほど訪れた場所が浮かんできて、重なるようにオーケストラの演奏が、映像と音声で流れました。曲はモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。

え、何かすごいな。と驚きつつ、その心象世界へ意識を集中させました。

伝えてくれたことは短いですが、とても大切なことだったので皆さんにもお伝えしたいと思います。

【運命は、2つあります。念か、愛か。みなさんが、念ではなく、愛の運命を選べますように。】

とても優しいエネルギーと一緒に届いたので、じわ~んと胸が温かくなって涙が出ました。

その後は、個人的に気になることへの質問をしたりして帰りました。
娘たちは2人とも寝てしまっていたので、帰ってからその話をしました。

受け取ったメッセージにもう少し肉付けするなら、

【運命を決定づける要素は2つあります。
ひとつは愛からの選択。 
もうひとつは念からの選択。 
人々が愛からの選択ができるように願っています。】

という感じでしょうか?

【念】って、どういうこと?と思って調べてみると、

【思い、気持ち、考え、心から離れにくい思い】という意味でした。

「思い」で選択することが「念で選択する」ってこと?「思い」は良くないの?人って、思いを大切にして生きてるし、私もそれが大切と思ってきました。思いと愛はどう違うの?

難しいなぁと思って、長女に尋ねました。

「思いと愛って違うん?」

「違うよ!」即答でした。

「え、どう違うの?」

「思いは、条件付けやん。愛は、何もないねん」と、言い切りました。

もう少し質問しながら話していくうち、自分の中で「思い・念」と「愛」の区別がはっきりしてきたようでした。

今まで愛と思っていたものも、念だった。
今まで思いと思っていたものの中に、愛があった。

そうやって今までの自分が歩いて来た道、選択してきたことを振り返りながら、咀嚼してみました。これは、ものすごくものすごく大切なことだと思いました。

それから、詳しくは書きませんが、個人的な質問への答えも、もう疑いようがない示し方ではっきりとメッセージをくれたんです。その示し方は、14年前にも経験したことがあるものでした。

そうだった。空間と、世界と、私たちは、こうして一続きに繋がって一つだったんだ。
あの時受け取った、ささやかだけど、強烈に心が震えた奇跡を信じて、歩きだしたんだった。

忘れていたわけじゃないけど、はっきりと感覚や感動を伴って、思い出せたことがありました。

このメッセージに、ご縁のある人へ伝わっていきますように。
愛と思っているものは、念かも知れない。
 
念ではなく、愛の運命を選択していかれますように。