「あなたのことを心配して言ってあげてるのよ」という印籠を見せて、ワガママを言ってくる。俗にいう、毒親の性質の1つです。

過干渉や過保護と、無関心や放ったらかしは、同じようなもの。
どちらも、同じような傷を子どもに追わせます。

「あなたのことを心配して言ってあげてるのよ」 という言葉さえあれば、自己中心的な自分の欲を自覚しなくていいんですよね。

だから大抵、それが自分勝手な欲望だという自覚がありません。
「心配」に束縛されて来た子どもは、やがて大人になり、親になり、気づく時が来るでしょう。

でも、気づいてもその呪縛から逃げられない人が多いようです。

何だかんだ言って、言うことを聞いてしまう。
無視したり、距離を取ったりしたら、もっと厄介なことになる。
自分が対応しないと、この人はダメになってしまう。
私以外に、他に拠り所にできる人がいないから。

でも、そんな自分が嫌いだったりもするようです

自分の中の矛盾を自覚しているから、ストレスを抱えてしまう。
振り払いたい。同じようになりたくない。自分を生きたい。
でも、振り払えない。同じようにしてしまう。自分を生きれていないと思う。

ぐるぐると、出口のないトンネルの中にいるように感じて、辛い。
逃げ出したいけど、逃げ出せない。
好きなように生きたいのに、好きになんてできない。

これはもう、エンドレスな悩みですよね。
どこかで諦めてしまいそう。そうでないと、もうしんどくて。


ちょっと視点を変えてみましょう。

人との関わりは、全て鏡だという視点です。
どんな人も、自分を映してくれている鏡

鏡の法則と呼ばれているものです。

多くの人間関係の悩みは、鏡の法則を上手く使えば解消の糸口が見えてきます。
そのポイントは、常に自分が主体者となって考えること。
(詳しい方法は文章では伝わりにくいので、個人相談などで必要な方にエッセンスをお伝えしています。)

このケースの場合、以下のようなことが考えられます。

〇あなたに不安があることを教えてくれている。
〇あなたが、心配症であることを教えてくれている。
〇あなたが、自分を愛せていないことを教えてくれている。

であれば、

→私は何が不安なんだろう?
→私はどうして信頼できないんだろう?
→私は何を信頼できないんだろう?
→私を愛するとはどういうことだろう?
→私は愛されていただろうか?愛されてなかったのだろうか?

などなど、自分に矢印を向けて自分を知っていくことができます。
自分へ向かって、3層、4層くらい下まで掘り下げていきます。
自分では難しい場合は、誰かに質問してもらったり、キーワードを書き取ってもらうと進めやすいです。


鏡は、自分を見るためのものです。

鏡そのものに向かって、
「やい!なんでそんなに私を汚く映すんだ!」
「ちょっと!どうしてそんなに変な形してるのよ!」
「信じられない。もっと美しく映してくれない?」

なんて言う人はいませんよね。
「毒親だ」「親が悪い」「親のせい」と、相手に原因を持たせている間は、変わりません。そこに抗えないでいる「自分も悪い」「自分が嫌だ」「自分のせいだ」と自分を責めていても、変わりません。

鏡のせいで、あなたが自分らしく自分の人生を生きられないなんて、おかしいですよね。
鏡を取り換えたところで、またその鏡に向かって悩むんだったら、同じですよね。

あなたは鏡を見て、どんなことを確認しますか?

・おかしなところないかな?
・今日のコーディネートは素敵かな?
・今日もイケてるかな?

ヘアメイクや身だしなみを整えるために、鏡を見ますよね。
でも、自分の内面は、鏡には映せません。
だから、ご縁ある人が鏡となって見せてくれています。

親子でも、同じ。
親子だからこそ、他人様では見せてくれないような、本質的なところを見せてくれたりします。有難いことですよね。

相手を鏡にした視点で自分と向き合う時、気をつけてほしいとっても重要な注意点があります。

指摘、批判、否定の目で見ないでください。
愛の眼差しで、見つめてください。

鏡に映るあなた自身を、否定の目で見ないで、愛を持って見つめてください。