私たち母娘は、周囲のたくさんの方に励まされ、助けてもらいながら進んできました。
学校に行かないと決めてすぐの頃は、身内からの理解もまだ得られてない時期だったので、本当に救われました。
「不登校になっているお友達にどう声をかけていいか悩んでいる。」
という相談も結構あるんです。
その方の性格や関係性などによると思いますが、少なくとも私は、気にかけてもらえて本当に嬉しかったし、励まされたし、今もずっと心の支えになっています。
そんな当事者の気持ちを綴った2017年の記事をご紹介します。
もくじ
千早赤阪村「結の里」はるかさん
5年生の3学期、私と知愛は時々お出かけをしました。
金剛山や岩湧山などの近隣の山が多く、無意識ながら人が多い場所よりも、自然の空気に触れられる場所を選んでいたように思います。
そんなある日、千早赤阪村で里山体験をさせてくれる「結の里」さんを数年ぶりに訪れました。
平日に二人で行って、のんびりと過ごさせてもらいました。
森の中を歩き、手作りのブランコに揺られ、飯ごうでご飯を炊きました。
結の里のはるかさんは、私と知愛の話をじっくり聴いてくれました。
はるかさんが子育てをしていた頃の話も聞かせてくれました。
炊き上がったご飯がものすごく美味しくて、「美味しい~幸せ~」と顔をほころばせる知愛の表情を、とても嬉しく眺めていたのを覚えています。
60回くらいは「美味しい!」って言ったんじゃないでしょうか。
自然いっぱいの場所でリラックスして過ごせたこと。
話を聞いてもらって心が軽くなったこと。
知愛が、リラックスした表情で笑えていたこと。
嬉しかった。
そして、はるかさんが言ってくれました。
「平日だったら来る人が少ないから、毎週でもおいで。」
嬉しかったんです。
その時も、今思い返しても。
ただ嬉しくて、すごくほっとしたんです。
それから、いろんな想像が浮かびました。
もし、私たちと同じような親子がいてたら一緒に来たいなぁ。
家で閉じこもってしまっている子がいたら、連れて来てあげたいなぁ。
一人で抱えてるお母さんがいたら、私も役に立てるかもしれない。
「嬉しくて、ほっとする」
を、共有したいなぁと思いました。
よし、やってみよう。
はるかさんにお願いして、月に数回「里山がっこう」をさせてもらうことになりました。
すぐに「育みネットカラフル」という名前のサークルを作り、知愛が6年生になる2015年4月から活動を始めました。
この日、はるかさんが言った言葉をよく思い出します。
子育てしていた頃、娘さんの不登校などでさんざん悩んだ末に辿り着いた思い。
「生きてくれてるだけでいい。そう思えるようになったら、良い変化が起き始めたのよ。」
私も、自分にとって大切なことは何だろう?
って、どんどんと突き詰めていった結果、
「存在してくれることが喜び」ということに辿り着けたのでした。
日常では忘れてしまっていても、何かが起きた時、
「一番大切にしたいことは何だった?」
と自分に問いかけて、そこに立ち戻れるようになりました。
知愛の記憶(2017年7月記)
この美味しすぎたご飯のことはしっかり覚えています。
あのときは自己否定だった私でも、はるかさんに会って自然に触れて、なんだかフワッて黒い背負っているものが浮いたんだと思います。
だからあの時のご飯はしっかり味わえたし、嬉しかったんだと思います。
今ではずいぶん元気になって、いつも美味しく食べられるのが当たり前に戻りました。
だからあの時に感じた「美味しい!」という感動には、これからもきっとかなわない、そう思っています。
心の状態でご飯の味は変わると感じました。
御所市「ふりぃすぺぇすモモ」みどりさん
*みどりさんは現在、他の地域に引っ越しされているそうです。
5年生の3学期も終わりかけの頃だったと思います。
私の友人Yちゃんが誘ってくれて、一緒に御所市のみどりさんの所へ行きました。
みどりさんは元支援学校の先生であり、4人の男の子を育てたお母さんでもあります。
もう何年も子育て支援の活動を続けてこられた方です。
数年前に一度、みどりさんがまだ堺市で活動されていた時に、私だけYちゃんに連れて行ってもらったことがありました。その後、自然豊かな御所市の古民家で新たな活動を始められていました。
Yちゃんには、知愛の話を聴いてもらっていました。
知愛が3歳の頃に出逢っているので、気質や性格もよく知ってくれています。
結の里に初めて連れて行ってくれたのも、カラフルを始めた時に手伝ってくれたのもYちゃんです。
優しい笑顔で「いらっしゃい」と出迎えてくれたみどりさんの家は、とても居心地の良い場所でした。
大きな離れがくつろげるスペースとして整えられていて、
広い畑や、手作りの滑り台がありました。
外で一緒にご飯やお味噌汁を炊き、おしゃべりをしながら頂きました。
少しの時間一緒に過ごしただけで、みどりさんには知愛の気質がよく分かったようです。
「知愛ちゃん、いろんな事をいっぱいキャッチしてるし、同時にたくさん気にかけてるね。知愛ちゃんにとっての学校は、やっぱりしんどい場所だと思うよ。」
といったことを話してくれました。
「でも、知愛ちゃんはバランスが取れてる。お母さんのお陰よ。大事なポイントでよく間違えずにやってきたね。」
そう言ってもらえて、泣きそうになったのを憶えています。
幼い頃から自分の考えをはっきり持っていた知愛。
頭の回転も速く、イメージもかなりくっきり描いているようでした。
はっきり描けているだけに、そこからずれていると許容するのが難しそうでした。
そういう時は、怒りになって外へ出てきました。
幼稚園の頃はその怒りを抑えることもできず、私にぶつけていました。
知愛自身も、その大きなエネルギーをどうしていいか分からなくて、とにかく「お母さんどうにかしてよ!しんどいよ!」とSOSを出してるように感じていました。
泣きながら、怒りながら、ぽかすかと叩いてくる知愛を、ただ受け止めることで精一杯だった日がたくさんありました。
学校に行けなくなって、大好きな友達と一緒に過ごす時間を失ってしまったこと。
もし私がもっと上手に育んでやれてたら、しんどくならずに通えたかな?
幼かった頃のことや、自分を責めてしまっていたことが、ぶわっと溢れそうになったのです。
子育ての中で間違った対応もいっぱいしてきたとは思うけれど、そういう指摘を1つもせずに、認める言葉をかけてもらえたこと。
あの一言にどれだけ救われたことでしょう。
「知愛ちゃんは大丈夫よ~。いつでもまたおいで。」
そう言ってくれたみどりさん。
あの時の私と知愛を、みどりさんの所へ連れて行ってくれたYちゃん。
ほんとに感謝しています。
帰り道、長いトンネルを抜けたら3月なのにものすごい吹雪。
びっくりし過ぎてみんなで大笑いした帰り道。
いつまでも心に残っている1日です。
その後のことを少し
みどりさんのところへは、知愛が中学校の入学式をボイコットした日にも訪れました。
学校へは、みどりさんの家の庭から電話しました。
何日も前から入学式に出席するか悩み続け、当日の朝、やっぱり行かないと。
せっかく行かないんなら、気持ちの良いところで過ごそう!と、知愛を誘って車を走らせました。
在籍していた中学校は、家から歩いて10分もかからない場所にあり、登下校する生徒たちがたくさん、家の前を通ります。
自分で決めたこととは言え、家に居たら気持ちも沈むだろうなぁと思いました。
とてもお天気の良い春の日で、みどりさんの家の裏山に桜が満開に咲いていました。
のんびり気持ち良い場所で、温かいお味噌汁とご飯を頂き、お喋りをして過ごせた入学式。
「大丈夫よ。社会性を身に着けてから何かのスキルを身に着けるのが一般的と思われてるけど、その逆パターンが合ってる子も結構いてるの。自分が自信を持って社会と関われる何かを身に着けられたら、それをツールにして社会と関われるようになるから。今は好きなことをやって過ごしてみたらいいのよ。」
その日、みどりさんはそう話してくれました。
脳の機能的な性質でしょうか。
一度にたくさんの情報を受け取り、幾通りもシミュレーションし、最善の行動を取ろうと常に気を張ってしまう知愛は、自分との関係性をしっかりと育む前に、対人、対社会で上手く振舞おう、立ち回ろうとし過ぎて疲れ切ってしまったのだと思います。
例を言うと、隣のクラスの授業の内容も全て、自分のクラスと同じボリュームで聞こえてきて、全て理解していたそうです。同じクラスの子達がコソコソ話す会話もほとんど聞こえてしまう。
耳だけじゃなく、目からも細部まで情報が入るし、洗濯したあとでも匂いで家族の誰の服か分かってしまう。五感がとても鋭く、ストレス度が高くなると神経が過敏になり、感覚過敏という症状を起こしていました。
ある面では高い能力を発揮できるけれど、ある面ではストレスフルになり諸症状を起こしやすい。知的には問題がないどころか平均より高いくらいなのに、学校のようなシステムの社会ではうまくやっていけない。
ギフテッドと呼ばれたり、発達グレーと呼ばれたりするタイプです。
自分を理解し、まずは自分自身と良好な関係を築くことはどの人にも大切なことですが、学校のような環境ではその場に居ることだけでエネルギーを消耗してしまい、健全な学びを得ることが難しい性質をの子ども達も少なからずいるのです。
学校でも、理解と配慮があれば安心して過ごすこともできますが、その理解がなかなか得られずに悩んでおられる人も多いのではないでしょうか。