隠さず言えました。(知愛)
私が初めて、初対面の人に学校に言ってないことをこの前言えたんです!!
今回はその時のことや、どうして言えたのかなども含めてお話します!
ある日の夜〖 1週間ちょっとくらい前かな??〗
突然なんだか「うぉぉぉ」と私の中から何かが出たがってる、そんな気持ちになりました。
アイデア??やりたいこと??が沢山出て来たんです。
出て来たものの中の1つ、「不登校の人にもっと自信をもってほしい」という思いが強く光っているように感じました。
そして、「小さくてもいいからすぐに出来ることはなんだろう!」そう考えました。
まず私が自信を持つことだ !これや!!!これなら今の私なら出来る!!
自分が不登校であることに罪悪感を抱き、自信を持ててない人が、他の人に 〖 自信を持って!!〗なんて言っても説得力無さすぎますし、なにより聞いた人が不安になる。。。
じゃあ、不登校であることに自信を持ち、恥ずかしい事だなんて思っていない人は何をするだろう、??
発信するんだ。
隠さないんだ!
今まで私は散々隠してきました。平日にお出かけして、中学生だと言う。
そりゃ、周りの大人の人は「学校は??休みなの??」と聞きますよね。
「今日は学校が、創立記念日なんです!」などと嘘をつき、隠しました。
自分に自信は持っているつもりでした。ですが全然持ててなかったんです。だから隠したんです。
でも、隠す必要なんてない!
次に私が学校に行っていないことを言えるチャンスが来たら!言おう!
そう決めた2日後、習っているお料理のレッスンがありました。周りは大人の人達で、1人でレッスンに参加していますが、すぐに仲良くなってたくさんおしゃべりしてます。
このレッスンの日は大雨で、一緒にレッスンしていた方がお子さんの事を心配されていたんです。
なのでポロッと「妹もそろそろ帰って来る時間なんですよね、大丈夫かな?」と言ったんです。
そしたら「あら!妹ちゃん小さいの??」と。
私は「いえ、小学6年生です」と答えました。
「あら、年が離れてるのねー!」
「私と妹は2つしか離れてませんよー。私中学2年なので。」
と会話が続き、
「あらー!そうなの!?でも学校は??」
と!!
きたァァァァァァァァ!!!早速言うチャンスが!!チャンスが来たよぉぉぉぉぉぉ!!
言うのか、言ってしまうのか!?大丈夫なのか!?えー、、どうしよう言ってもいいのか??言わなきゃぁぁぁぁぁ!!
「学校が合わなかったので別の環境で学んでるんです!なので学校には行ってないです。」
勢いで言ったぁぁぁ!言えたよぉぉぉ誰かさぁぁん!
と、勝手に心の中で喜んでいると
「そうなの!?」と驚かれましたが、否定されたりなどは全然されませんでした。その後のレッスンも普通に楽しめました!
迎えに来てくれたお母さんに
「知愛さぁ!言えてん!学校言ってないんですってゆーたった~!」
と多分めっちゃドヤ顔、いや、確実にドヤ顔で報告しました(笑)
私はもう自分で自分を否定していないので、誰に「それはおかしい学校に行きなさい」と言われても傷ついたりしないです、多分。
その人にはその人の価値観、思いが、私には私の価値観、思いがあります。
人は違うものだと思えるはずです!
子ども期の自己否定は哀しい(母)
知愛は、「5年生の3学期から6年生の1学期はあんまり記憶がないねん」と言います。
登校拒否や不登校を体験したことのある多くの方が、同じように言われます。
「なぜしんどかったのか、何がしんどかったのか、その頃何をしていたのか。ほとんど思い出せない」と。
辛い経験をしている真っ最中だからでしょうか?
ただ、辛いからだけじゃないと思います。
大変なことは誰にでもやってくるし、みんな乗り越えていきます。大変だったことを、みんなが忘れてしまうわけじゃないのに、こういう体験は、どうして忘れてしまうのでしょうか?
私は、「自分を否定していたから。自分をころしていたから。」じゃないかな?と思います。
自分を否定して、自分を責めて、罪悪感でいっぱい。
だから、きっと世界を観ていないんだろうなぁと思います。
5年生の3学期の頃、不登校になって3ヶ月~4ヶ月くらい、知愛は何度も「ごめんなさい」と謝っていました。
平日の昼間(学校に行っているはずの時間帯)に一緒に出掛けると、「お母さんは恥ずかしくないの?」と聞かれました。
家庭内で学校に行かないことを認め、恥ずかしいなんて思わずに一緒に出歩く家族がいても、です。
本人は、自己否定、自己嫌悪、罪悪感、そして不安感。そんな思いばかりだったのだと思います。
もし、家庭内でも責められたり、居場所がない場合はどんなでしょうか?
部屋から出てこれなくなると思います。
きっと自分の部屋が、自分を守る最後の砦なのではないでしょうか。
引きこもれる部屋もなかったら、どうなるのでしょうか?いろいろと想像してしまいます。
もちろん、一人一人違った背景があり、それぞれの持つ気質があり、簡単に決め付けられることではありません。
ちなみに私が思春期の頃、学校は大して楽しい場所ではありませんでした。家庭の事情のせいで、教師から嫌がらせを受けることもありました。
でも、心の許せる友達が居てくれました。小さくても、居場所と思える場所がありました。
家には、居場所と思える場所がありませんでしたが、自分の役割がありました。それも小さな居場所だったと思います。
だけど安定した自分の拠り所、土台のようなものが作れてなくて、家でも学校でも、此処にいるという実感の薄い、自分という存在がぐらぐらとした子ども期を過ごしました。
ちょうど今の知愛と同じ中学2年の2学期に、両目1.5だった視力が、一気に0.3に落ちました。
苦手だった教科は突然欠点になりました。それまで、平均点以下は取ったことがなかったのに。苦手な教科は勉強していないと点数を維持できないから、きっともうがんばれなくなっていたんですね。
中学3年のある日には、突然教室の前の廊下で過呼吸の発作が起きました。両手も顔面も、体中がしびれてきて、息が苦しくなって、立っていられなくなりました。
医者には、これらは全て、ストレスが原因と言われました。思い返せば、小学生の頃も、授業中に何の前触れもなく嘔吐してしまうことや、突然耳に膜が張ったように、ツーンと音が聞こえなくなることなど、様々な症状があったなぁと思います。
不登校も登校拒否もしていなくても、本人が「自分は平気」と思っていても、突然、何か変化が起きることもある。
子どもの頃のストレスはとても危険だなぁと思います。
しんどさをしっかり自覚できず、時々変調を体験しながらもやり過ごし、理解を深めたり自分を癒すこともないまま、自己否定を抱えて大人になる。
ある程度の年齢になったら大人だと言われ、社会へと押し出されてしまいますが、「自分の命に責任を持って生きる」ための土台はほとんど築けていないのではと思います。私自身がそうでした。
そう考えると、11歳で自分のしんどさを外に出せた知愛は、今の時期に向き合うべき課題に、しっかりと向き合えたと言えるのではないでしょうか。
知愛の持っていた「外へ出す力」に、感謝しています。誇りに思っています。
たとえ本人が自分は弱い子、ダメな子だと思っていても。私は、彼女の強さを心から尊敬しています。