もくじ
5年生の3学期(知愛)
私は、不登校になってから、6年生の初めくらいまでの記憶があまりありません。そんな中でも覚えているくらい。
怖い。。。
と思った時のことをお話します。
5年生、3学期。
私には不登校になってから卒業するまで毎日遊びに来てくれていた、だいすきな親友のFちゃんと放課後の小学校にたまーに行っていました。
その時の担任のF先生が、「友達を連れてきてもいいから放課後、体育館で運動とかしない?」と言ってくれていたからです。。。
なのでたまーに行ってバドミントンや、バスケなどを、一緒にしてもらっていました。
そのときはFちゃんも一緒だったので、「楽しいなー!運動にもなるし!」と、思っていました。
5年生の終わりの頃、F先生が「Fさんも一緒でもいいし、ゆるく勉強もちょっとしよーかー。」と、、、
私は運動なら!と思って放課後の学校へ行っていたので、気は乗りませんでした。
ですが、放課後だし、運動のときはF先生おもしろかったし、Fちゃんも来てくれると言ってくれてるし、「大丈夫だろう!」と思い、Fちゃんと一緒に学校へ向かいました。
勉強内容は漢字と書写〖硬筆 〗でした。
どちらも嫌いではなかったし、本当に簡単なのですが、何枚もありました。
「Fちゃんと楽しく話しながらしよー!」
と軽く思っていたのですが、私の席の前に先生が座り、Fちゃんは横に座らされました。
そして「黙って集中してやりなさい。」と言われました。
私とFちゃんは「え??なんか違うよね、、、」と固まってしまいました。
ですが、「はやくやりなさい」と怖い顔で言われたので。仕方なく始めました。
でも何枚かするとぜーんぜん楽しくないのでFちゃんに話しかけてしまいました。
「ねーFーこの絵何色でぬったらいいと思うー?」
そんななんてことない会話だったと思います。
F先生はすごく怖い目つきで「なんで話してるん??黙って集中しなさいって言いましたよね!?」と言われました。
消しゴムを落としても自分では拾わせてもらえませんでした。
「話すな」と言われたのに話した私が悪いのはわかっているんですが、放課後ですし、ゆるくと言っていたのになんでこんなに厳しいんだろう、いつもの先生じゃない。
「早く帰らないと。」と思いました。
なので5時半にお母さんに迎に来てもらう予定だったんですが、「気分が悪いので1時間早めてほしいです。」とF先生に伝えました。
すごく嫌な顔をされて、大きなため息をつかれました。
なんだか、黒いオーラにまとわれている。そんな気がしました。
その日はお母さんに、早く迎えに来てもらって事なきを得たんでずが、学校に行っていた時よりも厳しくされて、凄く嫌なオーラが出ていて、私は完全にその先生のことが、怖くなってしまい、それからも誘われたりしましたが、全て断らせて頂きました。
せっかくついてきてくれたFちゃんに、申し訳なかったし、意味がわからなかったので、、、笑
F先生は、ヒステリックに怒ることがありました。叱るのではなく、怒っていました。
机や椅子を蹴ったり、生徒を廊下へ投げるようにしていたり、、、怒鳴り散らしたり、感情的になると手をつけられない。止められない。
そんな感じでした。
「私とFちゃん2人の時に手をつけられないような状態になってしまったら、、、」
1人でそんなことを考えたらどうしても怖くて、断るしか出来ませんでした。
今から思うとたいしたことではなかったのかも、?
と思ったりもしますが、やはり2人の時に、、、もし、、、そう思うと仕方なかったよ、と思います。
学校との関わり・5年生(母)
5年生の時の担任はとても若い方でした。
最初に電話で「もう学校に行かないと言っている」と伝えた時、文字通り固まって、「・・・。え・・・。それは・・・。」という感じでした。
校長室で担任・教務主任といろいろお話した時も、
「どうしてなのか、理由がさっぱり分かりません。思い当たることも全くありません。」
と言われました。
登校しない。ということは納得してもらえましたが、時々電話をかけて来て知愛を学校に誘いました。
「放課後に運動をしにおいで。友達も一緒でいいから。」
ということだったので、仲良しのFちゃんがいつも一緒に行ってくれました。知愛はとても心強かったと思います。
体育館でバトミントンなどをして楽しいと言っていたのに、何度か行った後はもう行かなくなりました。
その理由は、知愛が投稿した今回の記事で初めて知りました。
特に熱血ということもなく、特に何かがひどいということもない、若い人。
私にはそういう印象しかなかったし、始業式の日くらいしかお話していません。
登校拒否や不登校などに対しての学校側の対応というのは、ほとんどの小学校では担任に一任されてるケースが多いようです。
なので、担任がどんな人かによって対応も千差万別。全く違います。
担任の個性によって対応が変わるのに、子ども達は個性を閉じ込められてしまう。
学校という枠の中で、次から次へと決められた通りに行動させられること。
そこに毎日通うこと。
そんなことは当たり前かも知れない。大半の子には何てことないかも知れない。
でも、自分をすり減らすくらい、エネルギーを消耗してしまう子達もいるんです。
その感覚をどう伝えればいいのか分からないながらも、始業式の日に校長室でがんばって説明をしてみたんです。
話には加わらず、何か用事をしながら聞いていた校長が一言、
「でも、学校とはそういうところですからねぇ・・・」
と言って、去って行ったのがとても印象的でした。
そうなんです。学校とは、そういうところ。だから、行けなくなる子がいるのです。
そこに居られないなら、去るしかない。
他に安心して学べる環境が法的に整っていないので、去った子には、教育を受けられる場が公的には与えられません。
自分で探すしかないのです。
大人と同じですね。職場が合わないから、退職する。転職先を誰も与えてはくれません。
義務教育は、教育を与える義務なのに。
用意した学校に通わないのなら、教育は与えませんよ。ということです。
そして学校に通わせない保護者を、就学義務違反だと言うのです。
そんなおかしな話が通る、おかしな社会なんです。
他に選択肢がないから、登校拒否症状を起こしていても、必死で通うしかない。
親も、通わせる以外の選択肢を見つけられない。
だから、子どもを不登校にしてはいけないと親は考えます。
子どもが直面して困っている問題よりも、「不登校」の方が大きな問題となるのです。
振り返って思う事(かおり)
不登校の児童生徒数は、毎年増え続けています。
文科省が昨年12月に出した資料では、18万人を突破しています。
小・中学校における不登校児童生徒数は181,272人(前年度164,528人)であり,前年度から16,744人
文科省https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/20201204-mxt_syoto02-000011235_2-1.pdf
(10.2%)増加。在籍児童生徒に占める不登校児童生徒の割合は1.9%(前年度1.7%)。
この数には学校から教育委員会に「不登校」として報告された数しか計上されていません。
不登校は、文科省により以下のように定義されています。
「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくてもできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いた者」
文科省
しんどいながらも、ぽつりぽつりと通う五月雨登校をしている子ども達は、含まれていません。更に、保健室や通級などの別室に、週に1回、1時間だけでも行っている子は含まれません。
事実上不登校状態になっている子も数えるなら、莫大な数になるでしょう。
2015年当時と今では、学校の対応に変化が起きているのは確かです。
2016年12月に、文科省から「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」の公布について通知が出され、翌2017年2月から施行された影響は大きいと思います。
そこには「児童生徒の意思を十分に尊重して支援が行われるよう配慮すること,不登校というだけで問題行動であると受け取られないよう配慮すること」と明記されています。
そして2019年10月、「不登校児童生徒への支援の在り方について」という通知が出されました。
基本的な考え方の中に、以下の文章も明記されています。
〇不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。また,児童生徒によっては,不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある一方で,学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること。
〇フリースクールなどの民間施設やNPO等と積極的に連携し,相互に協力・補完することの意義は大きいこと。
こういった流れを受けて、各学校関係での対応が「認める」「支援する」「連携する」といった方向へ変化してきています。
まだまだ自治体や学校ごとによって対応に大きな違いがありますが、実際に私がスタッフをしているデモクラティックスクールASOVIVAへの出席が、在籍する公立の小中学校での出席扱いとなるケースは増えていますし、継続的に連携が取れている学校もあります。
学校から貸与されているタブレットやノートパソコンを「ASOVIVAで使用することを認めてほしい」と学校長から協力依頼を頂けることもあり、とても嬉しく思っています。
学校に行かない選択をしやすくなって来ているのは事実だと思います。不登校児童生徒数の増加は、ある視点からは良い傾向とも言えます。
ですが、
・安心して休養期間を持てているか?
・受け皿となる社会資源やサポートの整備は追いついているか?
といった視点からは、社会が取り組めることは、まだまだたくさんあると感じています。
また、悲しいことは、児童生徒の自殺者数が増え続けているという事実です。
今年6月に文科省から出された「児童生徒の自殺予防に係る取組について」の(通知)によると、
(令和2年の)児童生徒の自殺者数は499人で,前年(399人)と比較して大きく増加,そのうち,女子中高生の自殺者数は209人で,前年(127人)と比較して約1.7倍
文科省
自殺者数の何倍も、自殺未遂者数がいます。
その時の後遺障害を負って苦しんでいる人もいます。
もうすぐ夏休みですよね。
その後には、夏休みの終わりがあり、2学期があります。
長期休み明けには不登校者数も自殺者数も増える傾向にあると国が出していますが、現場でもその通りの現象が起きています。
数年前の手記を掲載するだけのつもりが、思い余って長くなってしまいました。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
子ども達は私たち大人の在り方を映し出して教えてくれているようにも思います。
どうして自分らしくいてはいけないの?
どうして素直な自分を出現させてはいけないの?
子ども期を、素直に子どもらしく泣き笑い過ごせることは、そんなにも難しいことなんでしょうか?何がそうさせているのでしょうか?
子ども達が夏休みを楽しめるといいなと思います。
休み明けに学校に行くこと、友達に逢うことを楽しみにできるといいなと思います。
純粋で単純な感覚を、ただ素直に感じられる時間を持つことを、許されるといいなと願います。
「楽しい!」と、ただ感じられることから生み出される健全なエネルギーと、その波及効果の素晴らしさを、大人自身も思い出せたらいいなと、願います。
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