もう学校には行かないと決めた時のこと(知愛)

私は当時のことはあまり覚えていません。。。なので覚えている限りのことと、お母さんに聞いた話と友達に聞いた話も入れさせてもらっています!

もう学校には行かない。 そう決めた時のこと。

小学5年生、冬休みの少し前私が通う小学校ではマラソン大会がありました。
私は走ることが苦手で、どうしてもマラソン大会に出たくありませんでした。

お母さんには「見学したら??」と言われたけど、どうしても休みたくて。困ってしまいました。

ですが、お母さんは
「マラソン大会の日お母さんおやすみだから応援しに行くよ? 」

と言ってくれたので「やっぱり出よう。」そう思い必死に自分を奮い立たせました!

でも本番の日、雨で延期になってしまいました。
振替の日はお母さんはお仕事。見に来れない。出れない。行きたくない。

どうしてもマラソン大会には出れず。見学もせず。おやすみしました。
このころから私は学校に行きたくない。そう思い始めました。

何度も何度も「学校に行かれへん。もう行かれへんねん。」

そうお母さんに言おう。。。

と思いましたが、言い出せず少しの間行きたくない思いを押し込め、蓋をして学校に登校しました。

クラスは違うけど1年生のころからずっと親友のお友達にも「学校に行きたくないねん。」なんて、言えなくて1人で悩んでいました。

でも冬休みに入る少し前にもうどうしても押し込めることが出来なくなり、

お母さんに
「もう学校、行かんでもいい?行きたくないねん。無理やねん。もういい??行かんでもいい?」

と、とにかく許可がほしくて何度も聞きました。

お母さんは
「行く、行かへんは知愛が決めたらいいよ、でもすぐに決めずに冬休み気楽に過ごして、始業式1日行ってみて決めてみたらどう??」

と言いました。

私はその日から始業式になるまで毎日毎日不安で不安で、行きたくなくて。
「始業式にならないで、、、お願い、、、」

始業式、始業式、始業式、と頭の中にこびりついて離れませんでした。

なのでいくら思いだそうとしても冬休みのことクリスマスや、お正月もあったのに、自分では思い出せません。

そして始業式の日になり。嫌々ながらも仕方ないので行きました。笑
この時のことは全然覚えていなくて最近になって友達から聞いたら、

「始業式の日、知愛はボーってずーーっと座ったままでおなじとこばっか見てて呼んでも振り向かへんし、周りから見たらただ座ってるだけかもしれへんけどなんか変やなって思った。」

と言っていました。

始業式を終えて私は家に帰り、「やっぱり学校もうやめる」と言ったそーです。覚えていません笑

そして夕方、お母さんと一緒に学校へ行き、校長室で担任の先生と教務主任の先生と4人でお話をして、次の日から私の不登校Lifeがスタートしました。

もうやめると決めて、お友達に「明日遊べる?話したいことがあんねん」と連絡しました。

そしたら「知愛、学校来ーへんくなんねやろ、もう来ないんやろ?」と言ってきました。

私は図星すぎて「え、、、」と固まってしまいました笑

すると友達は「え?え、違った?え、あっ、、ごめん!違う?!なんかごめん」と。

でも本当なので「なんでわかったん?!もう行かへんことにしてん。。」と、言いました。

そしたら友達は次の日私の家に来てくれて、詳しく話し、馬鹿にするわけでもなく。笑うわけでもなく。止めるわけでもなく。

「良いんちゃう?知愛が決めたんやったら。毎日遊びに来るわ。」

と言ってくれました。そして本当に毎日遊びに来てくれました。
そのお友達とはいまでも親友です!

私の不登校はこんな感じではじまりました!
この親友にはほんとに助けられました。

これからも、大切にしていこうと思います!
出会えてよかったです。

今から思うと「私は不登校も人に支えられてはじまったんだな。」という事に気が付きました。私も誰かを少しでも、支えられていますように。

心の準備の冬休み(かおり)

2学期の終わりに「もう学校やめたい」と言った知愛に、「3学期の始業式に行ってみてから決めたら?」と言ったのには2つ理由があります。

1つは、マラソン大会だけが原因なら2週間休んだらまた気持ちも変わるだろうと思ったから。

もう1つは、自分が心の準備をするために時間が欲しかったから

冬休みの間、知愛はちっとも楽しめなかったろうと思います。
今回のことに限らず、苦手なことや未知のことが予定にある時は、何日も前から緊張と不安が大きくなる人だから。

それでも、すぐに「もう行かなくていいよ」と言ってやれなかった私。

ほんとにいいのかな?

たくさんの問いや不安が頭も心もぐるぐるしていて、言ってやれなかったんです。
しんどい思いをさせたなぁと思います。

冬休みの間に、読める本やネット情報は片っ端から読みました。
浮かんでくる問いや不安に答えてくれるものを探し続けていました。

始業式の日に、「やっぱりもう行かない」と知愛が言ったら、

「わかったよ。もう行かなくていいよ。」

と、本心で言ってやりたかったんです。不安そうな顔をしたくなかった。
まずは私が、自分の不安を取り除いておきたかった

知愛はこの頃、チック症状がひどくなっていました。顔面の3か所くらいで同時に起きるくらい。

頭頂部の皮膚を自分で剝がしていました。かさぶたが出来たらまた剝がし、何度も繰り返していたので、直径5~6mmほどの範囲が、いつも血がにじんで皮膚のない状態で窪んでいました。

剝がさないように声をかけても止まりません。爪を噛んだり、爪の付け根の皮も自分でめくっていました。

そういう小さな自傷を頻繁に繰り返していました。

知愛が座っている時には、本人に気づかれないよう頭頂部をチェック。

「あぁ、また剝がしてる」と、見るたびに知愛の痛みが伝わってくるようでした。

幻聴が聞こえると泣いて訴えてくることも度々あり、冬休みで学校に行ってなくても、こういった症状は治まりませんでした。

数日観察をしていて、根が深いストレスがあるのだと思いました。
しばらく休もうね。そんな声かけではきっと安心できないだろうと。

なので、きっぱりはっきりと、「もう行かなくていいよ」と言ってやりたかったんです。

たくさんの体験談や、学校に行かずに成長した人達の歩いた道を知り、学校以外の学び方、進路についての情報をかき集めました。

知愛だけじゃなく、次女の詩愛もいる冬休み。
日中はできるだけ考え込まないようにして、二人が寝静まった夜中にお風呂に入ってたくさん考え込みました。

自分の中にある不安や、自分を責める気持ち、ダメな母親だと自己否定する気持ち。
三角座りでお湯に浸かって、思う存分泣きました。

知愛が自己否定しているから、私も自己否定になったんでしょうか?

きっと逆なんですよね。
私が自分に自信がないから。不安があるから。欠落していると思っているから。

きっと敏感な知愛にも伝染していたんだろうと思います。

でも今、この弱さを娘たちの前で見せちゃいけない。
知愛は絶対に絶対に、自分のせいでお母さんを苦しめていると自分を責めてしまう。

自分のことでいっぱいいっぱいの知愛に、私の課題までかぶせてはいけない。
それだけは絶対にしない。

弱い自分と向き合うための冬休みでした。

そして3学期の始業式の日。
帰宅するなり「もう行かない」と言った知愛に、

「わかったよ。大丈夫。」と、少しは自信有り気に言えてたでしょうか。

その日のうちに担任に電話で伝え、知愛と一緒に学校へ行って校長室で先生方にお話し、「明日からは登校しません」と伝えて帰ったのでした。

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