不登校になったキッカケ(知愛)

私が不登校になったキッカケのことをお話しします!
私は知っている人が1人も居ない小学校に入学しました。

友達を作るのは得意な方だったので手当り次第に声をかけて友達を作っていきました。

ですが私はなめられるくらいなら 、 下に見られるくらいなら。と変なプライドと見栄をはり、人の上に立とうとしました。

当時はまだ小学1年生だったので、私のようにリーダーシップをとる子は少なかったので簡単にみんなをまとめるような存在になりました。

行事などがあると必ず リーダー と言うものになりたがりました。

私は小学5年生の2学期まではこのリーダーキャラでうまくやれている!そう思い込んでいました。ですが、5年生にもなると、やはり リーダーキャラではうまくいかなくなり、孤立するようになりました。

普段は全く読まない 本 に助けを求め、ひとりぼっちにされているんじゃない!
私はひとりで本を読みたいからひとりでいるんだ!

と、強がりひとりぼっちの休み時間をのりきろうとしていました。
こんな感じで1学期が終わり、夏休みに入りました

ここで、私は

「このままではいけない、キャラを変えよう!!」

そう思い、2学期に入ると 天然キャラ に変更しました。
すると思惑通りみんなの人気者になりひとりぼっちじゃなくなります。

わたしは 好きでもない、自分ではない作り物のキャラを、2つも作ってしまいました。
どのキャラも家での本当の私ではありません。
なのでストレスが、たまります。


勉強も頑張り、成績もよかったです。
ですが、好きではないのでストレスがたまります。

わたしはストレスをためて、ためて、そればかりで、上手に発散する、ちょこちょこストレスを減らす。

それができません。

なのでたまりにたまり溢れ出すと、急にエンジンが切れ動けなくなります。
そして、学校にも、行けなくなり、不登校になりました。

当時の、いやついこの前までの私は

「誰々が私に酷いことを言い続けたからだ!」

「1年生の頃の先生がきびしすぎてトラウマだからだ!」

「急に知り合いのいない学校に入ったからだ!」

と私ではない、誰か 何か のせいにしようとしていました。

ですが今の私は

「私が やめたかったから」

「私が 休みたかったから」

「私が ゆっくりしたかったから」

「私が 本当の自分にもどりたかったから」

「私が不登校になって出会えた、素敵な人たちに出会いたかったから」

と、思えるようになりました!

「すべて自分で決めて来たことなんだ」

「私がこうしたかったんだ」

すべて私に決めさせてくれたお母さん、お父さんありがとう。
そう思っています!

なぜ行けないんだろう(かおり)

学校に行かないとう選択に対する理解はありました。
学校に行ってない子ども達やサドベリースクールなど、学校以外の学び方にもいろいろと出逢っていたからです。

知愛は幼稚園に入って2週間、小学校に入って1週間で「もう行かない」と言いました。

幼稚園は「やっぱり行く」と言って、2年通って卒園しましたが、行きたくないと言った事は、最初の1度だけでした。

小学校は行きたくないとよく言っていました。
2年生の2学期は不登校と部分登校をした時期もありました。
(この頃の事はまた別の機会に綴ろうと思います)

だから、知愛には学校という場所は合ってないんだろうなぁと思ってはいました。
それでも2つ下の妹が入学してからは行きたくないと言わなくなったので、お姉ちゃんだからがんばってるんだなぁ。と思っていました。

知愛は忘れ物もほとんどしないし、先生から何か注意を受けることもありませんでした。何かの委員なども自分から手を挙げて意欲的に見えていたし、宿題の字もとても丁寧に書いていて、理解もほぼ出来ているようでした。

友達と喧嘩をしてしまうことは何度もありました。
でもいつも、家でそのことを悔やんで、友達と話せないことを寂しがって、自分から謝りに行くような人でした。

学校での話をよくしていたし、仲の良い友達もほんとにいい子ばかりで安心していました。

うまくいかない時もあったけれど、そういうものでしょうと思っていました。
そうやって、人間関係を学んでいくものだと思っていたのです。

5年生の2学期を終える直前になって、

「もう行きたくない。どうしても行きたくない。いい?もう学校やめていい?お願い、もうやめたい。」

何度も何度も、泣きながら訴える知愛に戸惑ったのが正直な気持ちです。

なんでだろう?どうして行きたくないんだろう?
合わない場所ながらも、そんなにストレス溜めてるようには見えなかったんです。

見えてなかったんです。知愛の学校での姿を
家と学校では全く違う人物を演じているということを、まだ知らなかったんです。

そして、「何かに挫折して逃げたいだけなんじゃないか?」

それで学校まるごと無しすることは、この子のために良くないんじゃないか?

うまくいかないことがあるなら、向き合って乗り越えるべきなんじゃないのか?

「あの時逃げ出した自分」を、未来の知愛は悔やむんじゃないか?

なぜ行けないんだろう?ほんとの原因はどこにあるんだろう?

この子にとっての正解はどれなんだろう?悩みまくりました。
原因探しをあれこれしてみました。

後になって、原因探しなんてしなくても良かったのにと分かりました。
するとしても、もう少し後の方が良かったのにと。

子どもがいっぱいいっぱいになって訴えてきた時、親は動転して、冷静を装いながらも必死で原因追求をしてしまうものなんですね。

冷静なつもりでいたけれど、ちっとも冷静じゃなかった。

親の対応について振り返り(かおり)

2021年の今、読み返して思うことは、私が悩んでいたことのほとんどは、私の悩みじゃなかったということです(笑)

〇「何かに挫折して逃げたいだけなんじゃないか?」
〇それで学校まるごと無しすることは、この子のために良くないんじゃないか?
〇うまくいかないことがあるなら、向き合って乗り越えるべきなんじゃないのか?
〇「あの時逃げ出した自分」を、未来の知愛は悔やむんじゃないか?
〇ほんとの原因はどこにあるんだろう?
〇この子にとっての正解はどれなんだろう?

これ全部知愛のことだから、必要があるなら知愛が考えればいいことなんです。
私は、知愛の課題(課題でさえないことも含めて)を、自分が責任を負うべき課題と捉えて、一生懸命考え込んで悩んでいたんです。

未来の知愛が悔やむなら、それも良し。
だって知愛の人生は知愛のものなんだから。

でもきっと、知愛は「悔やむ」という経験からも大切なことを受け取り、自分の人生の糧にしていくでしょう。という信頼が持てていなかった。

サポートの必要がある時は、「お母さんはどう思う?」「〇〇したいんだけどお願いできる?」と聞いてくれるんだから、先回りしてあれこれ余計なお節介で悩んで、人の人生を無責任に混ぜくり返す必要もなかったんです。

落ち着いて対応しているつもりでいたけど、混乱しまくっていたと思います。
それはそのまま、知愛にも混乱として伝わっていました。

結果としては、この時の「困りごと」がデモクラティックスクールASOVIVA!を創ることに繋がっていくので、知愛が「自分を取り戻したい」と強く願ってパワフルに外へ爆発させてくれてよかったと、心から思っています。

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