子どもの発想を面白がる

9年前、長女が小3の時のFacebookの投稿記事のスクリーンショットです。

走り書きのようなメモ投稿なので、少し補足を。

・長女は、入学後2週間してから登校拒否症状が出ました。

・小2の夏休み後半に大パニックを起こし、それから数か月不登校&ホームスクーリングに切り替えました。

・小2の冬に登校復帰し、小5の冬まで登校を続けました。

この投稿をしたのは、小3の夏。
一緒に下校していた友達に何度か止められたそうです。
それでも、

「いいねん。それより熱中症になれへんことの方が大事やから!」

と、真っ白でとてもお気に入りだった、袖やフロントがヒラヒラ~となっているカーデガンをタオル替わりにして、暑さを凌いだそうです。

お茶でボトボトになったカーデガンは手提げ袋に入れたまま忘れていたらしく、翌朝、手提げカバンの中で臭くなっているカーデガンを見て思い出し、私に話してくれたのでした。

お手上げ~と降参する

コメントに対して私が返事をしているコメントに、少しずつ手放しをし始めている様子がうかがえます。

育児期から、娘たちの意思の強さに驚き戸惑いながら、「それで良し!」と思ったり、「それで良いの?」と不安になったりしながら過ごしていました。

  • 我がままな人にならないか?
  • 人に迷惑かける人にならないか?
  • 嫌われてしまわないか?
  • 社会性や協調性は大丈夫か?

伸び伸び育ってほしい。
持って生まれた種を、思う存分育てて実らせてほしい。
自分の人生を、自分自身を生きてほしい。

母として純粋にそう願う気持ちと、社会に対してそれでいいのか?という不安。
いつもその狭間でもがいていました。

それでも、長女のスペシャルな能力の1つに、「出すチカラ」がありました。
私が不安でオロオロして、ぐずぐずと間違った対応を続けたせいで起きた大パニック。
身体にはいろいろな不定愁訴が起き、私は「間違っていた」と、はっきりと長女に教えられたんです。

それから、自分の課題との向き合い、子ども達が本当に自分らしく生きられるサポートをするにはどうすればいいのか?の勉強をしながら、実践し始めたのでした。

下に見ているというメッセージを伝えない

先ほどのスクリーンショットの中の私のコメントは、今こうして晒すのはとても恥ずかしいですが、どこかで子どもを下に見ているような言葉使いです。

「自由と責任は共に在ると教えながらも・・・」

とか、

「どこまで自由にさせていいものか・・・」

と、言葉の端々に子どもより自分の方が上のような意識でいることが伺えます。

こういう意識でいるから、子どもにそれを見透かされて関係性がこじれていくんですよね。今、改めて反省しています。

親と子は、立場や役割が違いますが、1人の人と人として、対等です。
どちらが上でも下でもなく、親だから偉いわけでも、子どもだから未熟なわけでもありません。

どちらが親か子か分からないくらいでいい。

子は未熟だけど、親も未熟です。
子に尊敬される親なら、子のことも尊敬しています。
親が愛するのと同じ大きさで、子も親を愛してくれています。
むしろ、子の方が無条件に愛してくれています。

親は知らず知らず、条件付けで愛を伝えてしまうようになって、親子関係に溝を作ってしまうように思います。

自分で考える子にするために

自分で考えられる子

これは多くの親が願うことではないでしょうか?

そのために、私が一番大切に思っていることは、

「子どもが自分の考えで行動できる環境をつくること」

です。

子どもが自分の考えを言ったり、思うように行動しても怒られたり否定されたりしないか?

それが、親など身近な大人にとって不都合だったり、イヤなことだったとしても。

子どもは、親を困らせたくありません。悲しませたくありません。
とても、優しいんです。

だから、親が困るようなことであっても、子ども自身が考えて行動しているなら、

「怒らない」「面白がる!」

そして、困った事が起きたなら、対話をしていく。
困るのが子ども自身なら、その結果を引き受けてもらう

そういった関わり方をしていくことで、もともと持っている考えるチカラ、行動するチカラを壊さずにいられると思います。

「考え、行動し、結果を受け止め、次へ生かし、学んでいくチカラ」は、そもそも子ども達に備わっているのだと、信頼する。

備わっているものを、どのように引き出して伸ばしていくか?
そこを親子で楽しんでいけるといいですね。

(文:かおりん)

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